調布音楽祭でプレトニョフを聴いた

6月25日から28日まで開催された調布音楽祭は、幸い天候にもかなり恵まれ、様々な意味での熱気に包まれて幕を閉じた。

アソシエイト・プロデューサーというのは立場的には、「みなさま調布音楽祭にお越しくださってありがとうございました」と言っているべきなのだろうが、私自身も心から楽しませてもらったので、手前味噌な鑑賞記という形でレポートでも残しておこうかと思う。

驚きと喜びがあちこちで見つかる音楽祭だった。

たとえば、特別ゲストでなんと先生方まで登場し、こだわりのプログラムを披露したミュージックカフェ。会場の雰囲気やフード&ドリンクも含め、年々すごい勢いでグレードアップしている。モシュコフスキの『2台のヴァイオリンとピアノのための組曲』、良い曲!

たとえば、圧倒的な演奏技術を笑いのネタにしてしまう驚異的なマグナムトリオのキッズ公演。彼らの演奏はネットにも動画が上がっているけど、明らかに芸のキレには磨きがかかっている。「子どもだけでなく大人まで~」というのは紋切り型の惹句だが、彼らの舞台ほどこの言葉を体現したものはなかなか珍しいのではないか。

たとえば、白井圭のソロが、バッハ・コレギウム・ジャパンから一種異様なスリルを引き出していたヴィヴァルディの「夏」。神がそのひとときだけ悪魔に魅入られたような、とは言い過ぎか。たいそう面白かった。

全公演、それぞれ語りたい部分があるのだが、あまりに長くなってしまいそうなのでこの辺りにして、ピアニストのハシクレとして最も注目していたプレトニョフ&ロシアナショナルの公演について書きたい。

芸術というものは究極的には「ヤバい」ものだと思っている。SFには「センス・オブ・ワンダー」という言葉があるが、これに近い感覚とも言えるかもしれない。「なんだこれは」と。もっと理想的には各文字の間に半角スペースを入れて「な ん だ こ れ は」と驚嘆できるような。プレトニョフのモーツァルトはそういうものだった。特にコンチェルトのアンコールで弾いた(コンチェルトのソリスト、独奏、そして交響曲の指揮という3つの姿がすべて楽しめたのだ!)ニ長調のロンドときたら。言ってしまえば子どもでも弾いてしまうような平易な曲のはずなのに、そこから無限が聴こえるのだ。おそらく、クラシックのピアノをほとんど聴いたことのないような人であっても、あの場で鳴っていた音が「ヤバい」ものであることは本能的に感じられたのではないだろうか。プレトニョフはそういう域にいる極めて稀有な演奏家だ。

基本的に演奏家は自分の解釈が一番と思っているので、他人の演奏にはどこかしら気に入らない部分があるものだ。もちろん私もそうで、プレトニョフの弾いたあのロンドは本来もっとお気楽で、どちらかといえば無邪気にはしゃいでOKな音楽だ、と思っている。何度考えても絶対そうだと思う。はずなのに、実際にあの演奏を聴いているあいだは全くそんなふうに考えられなかった。大きく緩急をつけ、幻のような弱音を聴かせるその……変態的な演奏が、なんと自然で説得力に満ちていたことか。指揮の方のチャイコフスキーも、かなり戦略的に色々やっている演奏なのだが、まず本質を捉えているからだろう、それがやはり自然なのだった。わざと人と違うことをやっているのでは決してなく、本人にとっては当然のことをやっているだけなのだろうと思わされた。

そうそう、実は公演本番だけでなく役得でコンチェルトのリハーサルも見学させてもらったのだが、そこでオケパートをさっとピアノで弾いて指示してみせるのがまたすごかった。その瞬間、オケ以上の大きな音楽が立ち上がるのだから。ピアノってここまでできるんだなあ、と思わされて、身震いが出る。あと、そう。まだ弾いたことがない Shigeru Kawai の楽器に触ってみたくなった。

音楽の喜びの色々な形がごろごろと転がっており、「ヤバい」という究極体験までもがそこにあった調布音楽祭は、間違いなく大きな価値のある場であった。手前味噌でした。

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