期間中に梅雨明けし、週末は焼け付くような日差しの下で行われた調布国際音楽祭、ぶじ終演いたしました。フィナーレのBCJ「劇場支配人」をご覧になった方はきっと、あのモーツァルトの抱腹絶倒の音楽劇の中に鈴木優人エグゼクティブ・プロデューサーの手腕・姿勢・理念に通ずるものを感じ取り、パワー全開な笑顔になっていただけたことでしょう!
私も今年はオープニングやキッズ公演もあわせ出演の方もやや多めでしたが、たくさんの方にご感想などもいただき大変励みになりました。個人的には、ほとんど初めてドビュッシーの音楽をまとまった形で取り上げる機会に恵まれ、彼の音楽にある強靭なツル植物のような独特の性質を改めて味わうことができたのがとても良い体験でした。
そういえば今回その演奏会の終演後にある方からお手紙をいただいて、その中に「アルカンは音の間に宇宙がない(から評価できない)、という人もいるようなのですが、どうなんでしょう」みたいなご質問があったんですが、言っていることはわからなくはないんですよね。でも別にそれは音楽の唯一の評価軸ではないでしょう。今回のドビュッシーとラヴェルで言うと、ドビュッシーは圧倒的に(表現を借りれば)音と音の間に宇宙がある人ですし、逆にラヴェルは基本的に宇宙がない人だと思います。ラヴェルの宇宙は音と音の間ではなくて他の場所にあるのです。演奏から感じてもらえていたら嬉しいのですが。ベートーヴェンやアルカンなども、そんな感じでそれぞれ別の場所に宇宙が見出されるタイプだろうと私は考えています。
脱線してしまいましたが、さてさて個人の話をもうひとついたしますと、音楽祭中にチラシも公開されましたこちら、今年の秋の自主公演ではチェロの長谷川陽子さんをお迎えして、アルカンのソナタ祭りをお送りいたします。こちらもどうぞよろしく! 長谷川陽子さんがアルカンのソナタにご興味をお持ち、というのも昨年の調布国際音楽祭の際に伺ったことで、こうして嬉しいつながりが増えるのも音楽祭ならではであるなあと感じます。
来年も、関わった皆が笑顔になれるような場として続くよう願っております。運営で関わられた皆さま、ご出演の皆さま、そしてご来場の皆さま、ありがとうございました。
こんにちは、手紙で音と音の間の宇宙について質問をした者です。拙い手紙を読んでいただいたばかりか、丁寧なご回答まで頂き嬉しく思います。
なるほど、宇宙があるのは音の間ばかりではないのですね。私は「どんな音楽にも音の間に宇宙はあるけれど、好きだからこそ感じられるのであって、興味のない音楽からには宇宙を感じるまでの思い入れがない」とかそういう好みの違いなんじゃないかと思っていました。
別の場所にあるというのは納得です。わざわざありがとうございました。
先日のヴェルサイユの光と影での演奏とても良かったです。特に月の光の静かな音の1音1音が染み渡りました…!
アルカン ピアノ・コレクション4とリサイタル楽しみにしています!