ピアニート公爵の誕生に関する細々とした経緯――つまり匿名でニコニコ動画に投稿した演奏が話題になったこと、動画説明に書いた「俺(ニート)」の言葉をもとに視聴者から「ピアニート伯爵」の名前をいただいたこと、動画の再生数に応じて爵位が上がって公爵にたどりついたこと、やがてCDを発売するに至って宮廷風のビジュアルイメージが完成したこと、などなど――はニコニコ大百科の記事等で把握していただけるかと思う。詳しく書いて下さってありがとうございます。
しかしながら、私がそもそもなぜその動画を投稿したのか、その際なぜ匿名で投稿したのか、そして私とピアニートの関係が公然の秘密となった後も長らく生き別れの兄弟、という微妙な距離感でやってきた理由が何であったのか、といった点については、私自身の心情はもとより、時代背景についての説明を抜きには語りづらいものがある。
ニコニコ動画に初投稿をしたのは2007年の暮れ。当時のニコニコ動画はまだまだ相当グレーな印象を残しながらも「居心地の良い遊び場」といった雰囲気を併せ持つ、ヘンテコな場所だった。大人になりきれなかった大人たちがやり残した学園祭を楽しんでいるような、そんなサイトだったのだ。
その中でも私が惹かれたのは、アイドルマスターというゲームの映像の切り貼り動画を中心とする「ニコマス」と呼ばれるジャンルだった。当時のニコマスの活気や影響力がニコニコ動画内でいかに大きなものだったかは、実際に経験していなければ理解しづらいかもしれない(例を挙げれば、「ボカロ」楽曲投稿者の名前に “P” が付けられる伝統も、ニコマスからの直系である)。私の動画の再生数が伸びたのだって明らかにアイドルマスターというゲーム、およびニコマスの人気に乗っかったおかげだった。
ニコマスという文化がいかに特異なムーブメントであったかについて語り出せば長くなる。著作権的にほぼ真っ黒な動画にならざるを得ない作品。だからこそ、その作成に惜しみなく投入される愛情、熱意、技術。文脈の多くが共有され、製作者の篭めた思いが高い精度で視聴者に理解される幸せな環境。アイドルマスターというひとつの共通の趣味、接点を通して、各々の動画制作者の持つ多種多様な趣味が新たな気づきを与え合う豊かさ。私はそれらに胸を震わせた。
そんな中で、自分の思いつきを動画にしたいと思ったのは当然の流れだった。アイドルマスターの「蒼い鳥」という曲は、クラシック的なピアニズムによく合う作りだった。自分にできること、面白がってもらえることがあるとすればここにあった。リストがやったように。いや、アルカンがやったように。ピアノ1台で弾いてみせれば良い。自分の技でもって、楽しんでいる輪に加わって盛り上がりたい。
楽しい輪に加わりたい、以外にも、反骨精神のようなものもあった。反骨精神? そう、ピアニートの動画には当初、「プロが遊び場を荒らすな」あるいは「クラシック演奏者としてこいつは終わったな」といったようなコメントが実際に付けられたりしていたのだ。そういった空気への反発と言うべきか。自由に面白がることを妨げる境界線のようなものを踏みにじってみせたかった。振り返って記してみるに、そんな思いを持つこと自体、数年で完璧に時代遅れになってしまった感もある。良いことなのか悪いことなのか一概には言えないけれど。一部の人間が蔑まれながらも無償の愛を注いでいたような分野までが、経済の論理で消尽される分野へとどんどん吸収されているようにも見える。
ともかく、始まりはそれだけのことだったのだ。何かその活動に特別の名前を与えて、継続的に飯の種にしていこうといった思惑はなかった。やりたいようにやっているだけだった。そんな態度での活動でありつつ、バックアップを得てCDをリリースするところまで漕ぎ着けられたのは、様々な好運と人々の助けに恵まれたからこそだ。結果、CDもやりたいようにやり切った内容になっていて、それが誇りである。
ピアニート公爵として知ってくれる人が増えたとき、その名前を利用してアルカンを弾けば少しは広める役に立つのではないかと考えもした。それができなかったのは、「ピアニート」の活動はクラシックの観点からすればイロモノ扱いされやすいことが分かりきっていたからだ。アルカンに(これ以上)「イロモノ」の香りを付けてはならない。彼が正統として、正当に評価されることが望みなのであり、イロモノ演奏家が扱うイロモノ作曲家として知名度が少し上がったところで嬉しくはない。
名義をふたつに分けて「生き別れ」にしてきたのには、その辺の事情もあった。私自身に「恥じるような内容の活動は何もしておらん」と言って泰然としている自信と気概が足りなかっただけのことではあるのだが、それを許さぬような時代の空気を当時の自分は感じてしまっていた。
結局、今になって自分でも困っているのが、ピアニートと私の活動内容はどう分かれているのか、という点であったりする。ピアニート公爵はクラシックも弾いているので、私と活動の内容は被っている。むしろ、何が違うのかよくわからない。いっそのこと森下唯はアルカンしか弾かないようにして、アルカン以外を弾くときはピアニートで良いのではないか、という意見を親しい人にいただいて、なるほどそれはナカナカ良いかもしれない、と納得しかけたくらいである。
せっかくいただいた名前である。そこからつながった関係も仕事もたくさんある。だから、なんとなく親しみの持てる活動をしている生き別れの兄弟としてこれからも付き合っていけたらなあ、と願っている。